「サマータイム」 ’01年8月13日
お盆だからというので、妻や娘の久美子は妻の実家に里帰りしてしまいました。
私はモコたちと一緒に留守番です。
こんな小さな家でも一人でいると、不思議とガランと感じてしまいます。
朝、目がさめてみるとモコがとなりで眠っていました。
丸めている背中をそっとなでたら、薄く目を開けて私を見ました。
そして、安心したように「フーッ!」と鼻から息を抜いて目を閉じました。
それからじきに「クーッ、クーッ」とかろやかなイビキが響きはじめました。
そんなモコを見ているうちに私は一つの歌を思い出していました。
それは「サマータイム」という曲で、色々な歌手が様々に歌っています。
でも、一番元になっている歌は、ミュージカルの「ポギーとベス」で歌われた子守歌だったようです。
私は「ポギーとベス」を見ていませんが、アメリカのスラム街での話のようでした。
ポギーは両足が不自由な男で、箱車に乗って生活しています。
ベスはポギーの奥さんで洗濯を仕事にしていたようにおぼえています。
こんな二人ですから、当然のことに生活は非常に貧しくて困窮しております。
季節は夏で、ベスが赤ちゃんに子守歌を歌ってやるのですが、そのときに切々と歌われたのが「サマータイム」だっ
たのだと思います。
子守歌と言ったら、日本では「五木の子守歌」や「竹田の子守歌」といったものをすぐに思い出します。
五木の子守歌は、むずかる赤ちゃんを背負って子守をしている少女、親元を遠く離れた少女が悲しく歌うものです。
けれどもベスが歌ったのは、まったくちがうものでした。
下手な訳をすれば。
「夏には魚が跳びはね、綿の木は大きく育つ。
暮らすには楽な時期だよ。
お前のおとっつあんは金持ちで、おっかさんはべっぴんさ。
だから、かわいい赤ちゃん、もう泣かないでもいいんだよ」
赤ちゃんをあやすのに、「父は金持ちで母親は美人」だと言っているのです。
でも、実際には両親の生活は極貧にあえいでいるわけです。
まったくの嘘を歌っているわけです。
その嘘は、むしろ歌っている自分を慰めるためにベスは歌っていたのかも知れません。
そして、モコはむずかっている赤ちゃんではなくて、イビキをかいているおっさん猫です。
そんなモコに私は何を言えるのかと考えていたのです。
何も思いつけないままに私はモコの背中をやさしくさすりました。
するとモコは前足を上げて私の手を軽くはらいのけたのでした。